オットー高岡の我流天晴

フリーデザイナーオットー高岡のページ。我流もいつかあっぱれに。
わたしは誠実だろうか
そう問い続けること
希望をもって
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まがさす
年末のぎりぎりまで仕事で、なんだか休んだ気がしない正月だった
年末年始と4日くらいは休んでいるんだけど、正月は行事が多くて
あっという間に、過ぎてしまったので、
それを取り返そうとするように、この週末は
あちこちで、飲んでいた。
くじら企画の追悼公演の作業もほぼ一段落。
やっと年が明けた気分になって、いまごろ年賀状を書いてます。

オットーです

「山の声」の当日パンフの作業がほぼ着地が見えてきた状態で、
え〜、皆さんに謝らねばならんことがあります。
というのは、パンフ用に撮影した写真のことをまえにちょっと書いたんだけど、

実際作っていく過程において、

ボツにしちゃいました…

っていうのは、役者の写真と合成して、大竹野を一緒に北鎌尾根にのぼらせたい。
っていう、魔が差したとしか思えん、思いつきでもって、写真を撮ってもらったんだけど
大竹野の写真が、解像度とかピントの面でいいのがなくって、
いや、やるだけはやってみたんですよ。でも、悪い冗談としかおもえない仕上がりが見えたので、やめちゃいました。

という訳で、練習を10分ほど早く切り上げて、撮影に協力してくれた
海老さん村尾さんマリンちゃんごめんなさい。

やはり、「山の声」ってかなり業の深い作品だから、
あんまり冗談みたいなのは似合わないのね。
頭で考えてる時は、冗談のつもりじゃなかったんだけど……

でも、もちろん、マリンちゃんがいい写真をたくさんとってくれてたんで、
いい感じになってると思います。
冗談の片鱗もちょっと残しました。

という訳で、いよいよ山の声までもう10日を切っちゃいました。

おととい練習を見に行ったんだけど、
いやあ、つくづく業の深いはなしだなあ。

この機会にと、加藤文太郎の「単独行」を読んでみたんだけど
ほんとに、このひと、一生歩いてるみたいな人で、
彼から山をとったら、きっと何にも残らないんだろうなと思った。

「山の声」は、そんな業の中にどんどんのめりこんで
ある限界点をこえてしまった男の物語だ。


そういえば、大竹野の芝居にはいつも、そんな限界点が描かれている気がする。
犯罪者をとりあげるとき、その人を特別な狂気とか人間じゃないもののようには描かない。
大竹野の芝居に出てくる人物にはいつも、生々しい生活感があふれている。
それは、たぶん、あたしやあなたと同じ人だ。

そして、あたしやあなたと同じように、ままならない人生を生き、
社会の中で、やりきれないルサンチマンを溜め込んで、なおかつ、それに耐え続けている。
そこに、ある瞬間が訪れる。

まがさす。

まさにその瞬間が描かれてゆく。
他人事じゃない。あたしだって、いつどんな魔が差して、
「密会」の主人公にならないとも限らない。


だが、「山の声」はちょっと違って見える。
それは、加藤文太郎は自分の命のエネルギーを全部、山に投げ込んだ人だからだ。
あたしにも、そんな生き方ができるのだろうか?
カワマタやナガヤマたちに訪れる魔の瞬間は、加藤にも同じように訪れる
だけど、どこかが違う。

カワマタやナガヤマには、いつかあたしもそうなってしまうんじゃないかという
恐怖がつきまとう。だけど、「山の声」の加藤には、どこかそうなりたいような
シンパシーを感じてしまう。

生きることは、そのままで、つらく苦しく哀しいことだ。
そう決めて、それでもなぜ生きようとするのか?
今、天国の加藤文太郎なら答えてくれるんじゃないだろうか?

オットーでした



| くじら企画 | 14:23 | comments(0) | trackbacks(0) |
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