オットー高岡の我流天晴

フリーデザイナーオットー高岡のページ。我流もいつかあっぱれに。
わたしは誠実だろうか
そう問い続けること
希望をもって
<< ちりぢり | main | ちらし >>
にんげんは
 めっきり寒くなってきました。
この、日に日に寒さの増す季節はにがてだ。
あたしは秋生まれのくせに、気温が低いと
冬眠したくなって、毎年今頃から春が待遠しい。

オットーです

もうそろそろ、「密会」について
書く事書いてけりをつけなければと思う。
第三夜の「山の声」の練習がもうはじまっているから。

あれこれ、ブログの感想を読ませてもらっていて、
いくつかのブログには、とても嬉しい想いをさせてもらった。

大竹野が伝えようとしたことを、しっかり受け取ってもらえたと
いう手応えを感じている。
もっとも本人はいないから、あたしがそう感じるだけだけど。

「社会派はあかん。人間派でないと」

これは、あたしが聞いた大竹野の言葉。
もう、これ以上書く必要はないかもしれない。
大竹野正典追悼三夜連続公演 第二夜「密会」は
その、真骨頂であったとおもうからだ。

第一夜「サラサーテの盤」が
ひとりひとり、悲しく美しい人間たちを走馬灯のように
ウチダのもとに寄り添わせて、キラキラ光る糸で紡いだ
絹のような手触りの作品だとしたら

「密会」は、せつなく素朴で、だからこそ狂おしい程の日常を
どすん、と、投げ出してみせるような作品だと思う

「ここはペルシャか?」

この、必死に生きようとする、人間の悲しさが凝縮した問いかけは
あたしもこれから生きていく上で、幾度と無く発しなければならない、
答えのない問いだ

生きることを描こうとするからこそ
大竹野の作品にはつねに死がつきまとっているし
必ず、ものを食べるシーンがあるのだと思う。

最後の叫びのあと、大音響のペルシャの市場が響き渡る、
暗闇の中で聞く、あの声は誕生の声ではないだろうか?
誰の言葉だったか「人間は泣きながら生まれてくる」というのがあった。

「密会」を目撃したあたしは、いま新たに、哀しみの中に産み落とされ、
哀しいからこそ生きていかなければならないことを知らされるのだ。

さて、

また、何か思ったら書くと思うけど
そろそろ、「山の声」に向かわねばならない。

約2年。
もうお芝居はやめるんじゃないかと思われるような勢いで
山行に没頭していた大竹野が、再び、筆を取った作品が
登山家の物語。

加藤文太郎に大竹野が自分自身を投影した作品だと思う。

乞うご期待!

オットーでした

| くじら企画 | 19:53 | comments(0) | trackbacks(0) |
コメント
コメントする









この記事のトラックバックURL
http://ottotakaoka.0100.jp/trackback/1079949
トラックバック
CALENDAR
S M T W T F S
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031 
<< May 2019 >>
SELECTED ENTRIES
CATEGORIES
ARCHIVES
RECENT COMMENT
モバイル
qrcode
LINKS
PROFILE