オットー高岡の我流天晴

フリーデザイナーオットー高岡のページ。我流もいつかあっぱれに。
わたしは誠実だろうか
そう問い続けること
希望をもって
あたりまえ
きちゃいましたね。つゆ。
雨はいやだ。朝起きれない。体がだるい。頭がおもい。
しかし、んなことは言ってられない。
来週末は、銀の鈴、三重公演。
いったん終わってリスタート。
防空頭巾じゃなくて、兜の緒を締めなおして
テンションをあげていかねば。

オットーです

というわけで、火曜日、くじら企画の練習におじゃましました。
いつもどうり、二人くらいはギャラリーがいます。
あたしもかみさんと二人で言ったので
ギャラリーは4人。
「山の声」は二人芝居なので役者2人、演出、
音響の手伝いのハルオで、4人
計8人の練習でしたが。

ここの雰囲気、やっぱりいいなあ。

本当に、当たり前のように淡々とやっている楽な空気。
日常の垢やマイナスの感情、逆によけいな遠慮や気遣い、リキみなど
どっかに置き忘れたような。
あたしは、なんか家に帰ってきたみたいな気分。

で、役者ふたり。

もお、なんて言えばいいのか。

ここ3年で2回公演している作品とはいえ、本番まで2週間以上あるのに
この仕上がり!

昼間はみんな仕事をしている。
それぞれの会社でそれぞれの仕事。
あたしみたいにルーズでなく、朝からきっちり一日分。
終わって練習に駆けつける。
平然とやってきて黙々と机を片付けて練習エリアを作る。

ほんの20分後、「今日は通します」のこえ
さらっと、音出しが始まると、
もう、その世界である。

ふたりとも長年そうやってきているのだろうから、
あたりまえなのだろうが、
あたしには、驚くくらいの”あたりまえさ”だ。

つい、1時間くらい前には、お仕事やってて
今はもう、槍ヶ岳の雪にうずもれている。

そのままラストまで。

証明もない、衣装もない、小道具ももちろん舞台じゃない
のに、ひと公演やりきってしまう。


お芝居に限界はないんだ。どこまでも深く深くなっていく
「まるでバラモンの苦行僧」いや、苦行ではないのだろうけど、
完成とか、終了はないんだ。ただ、まっすぐ深くなっていくだけだ。

「山の声」は何度も再演される不思議な運命を背負った作品だ

これに命を吹き込んだ二人は、とても幸運かもしれない。

だから、練習するんだ。
もう十分やん!と思うほどできあがっているお芝居を
ほとんど、公演を打ってるのと同じ状態で
何度も何度も。

練習の後は、恒例のコトブキ。いつも寡黙な海老さんは
お酒が入ると、ちょっとおしゃべりになって笑顔がかわいい。
村尾さんは、「明日、仕事で4時起きなんで」と
まっすぐ帰っていった。

かっこよすぎる。

6月10日午後5時 神戸学院大学にて 一回きり。

オットーでした
| くじら企画 | 12:53 | comments(0) | trackbacks(0) |
だれかきいてませんか?
 少しは落ち着いて来たけど
フラッシュバックがとまりません。
大竹野のお芝居は、噛めば噛むほど味が出てくるので、
あたしはサルみたいに何度も見せてもらうんだけど、
その度細かいところの丁寧さに気がつきます。

靴ひもが凍ってほどけないシーンの吉田の言葉少なな相づちとか
彼のやさしさを思い出して、目が潤みます。

まだ、急に気持ちが高ぶったりして、困ったもんです。

最終日、最後の公演の時、
あたしは、ちょっと聞いちゃったかもしれないことを
思い出したので、書いちゃいます。

吉田富久のセリフが、

先輩“ありがとう”がんばりや…

って聞えたんです。

知ってる人はもちろんよくわかると思うけど
“ありがとう”はセリフにありません。
あたしは、それを聞いたとき、吉田富久の気持ちが
村尾オサムの口をかりて、こぼれ出たと思いました。
村尾さんは、ええかげんにセリフを間違えるような
安い役者じゃありません。
この場面で、“ありがとう”は
吉田富久の気持ちとしてはぴったりしていても芝居のセリフとしては甘い。
もちろん、台本にはありません。

すげええ。胸がしめつけられるようでした。

その後、大テングさまの悪巧みによって、とどめの一撃をくらったあたしは、
ぼろぼろになって、会場から逃げ出しました。

打ち上げの席で、一緒に観ていたカナちゃんとゆきを降らしていた九谷に
「言ってたよね」と聞いたら、
「え、そんなん言ってたかな?」とか
「知らんで」とか言われたので、それ以上
もちろん村尾サンにも聞いてないんですが。

あたしは、聞いたんです。ねえ、誰か、
聞いた人いませんか?言ってたよね。

もしかしたら、風にやられて幻聴がはじまっとるのでしょうか?

オットーでした

| くじら企画 | 12:28 | comments(2) | trackbacks(0) |
いっぱい
雪がいっぱい降りました

みんながいっぱい集まりました

涙がいっぱい流れました

胸がいっぱいになりました

お腹もいっぱいになりました

お酒は当然いっぱい飲みました

水分をいっぱいとったので涙腺がバカになりました

カラダとこころに何かかいっぱいつまっているので

思い出そうとするとあふれてきます。

思い出は、気持ちが落ち着いたらいっぱい書こうと思います

いまは、いっぱいいっぱいです

とりあえず、すべての人に、ありがとうございました

せいいっぱいの感謝をこめて

オットー高岡
| くじら企画 | 12:04 | comments(0) | trackbacks(0) |
であえ
 寒い。激しく寒い。
今朝テレビで、ディズニーの新しいアトラクションの話をしてました。
3Dの映像を見ていると、画面のシーンに合わせて、
風が吹いたり、雨が降ったり、においがしたりする。
全く新しい体感アトラクションらしい。

今回、くじら企画もまったくわかりやすい体感アトラクションである。
冬山のお芝居が佳境に入ってくると、足下から冷気が…

って、それは、劇場が底冷えするだけやろう!

という訳で、「山の声」がとうとう明日から始まります。
ご来場のお客さまは、なにとぞ、暖かい格好でお越し下さい。
お芝居と一緒に寒さを体感したい方は、薄着もありですが
暖かくしてても、お芝居が佳境に入ると、カラダの中から
寒くなること請け合いです。

オットーです

月曜日の夜に、仕込みのおわった劇場におじゃましました。
炊き出しのカレーをごちそうになってから、誰もいない客席で、
音響の調整を見ていた。

ひとりもくもくと働くオニちゃん。
音を出しながら、スピーカーをさわっては、あっちこっちの場所で
音のバランスを確かめている。
プロっぽくてかっこいいなあと思って見ていると
大音響で効果音の風の音が。

あたしは、耳から、ものすごく寒くなって。
思わず楽屋に逃げ出しました。

今回は登場人物が少ないので、
わりあい静かで、淡々と作業がすすめられている
その分、一人一人の自分の仕事に対する、精神の芯が試される感じがする。

音が終わって、照明の調整が始まったのでまた見に行くと、
おなじみ、必殺の照暗!えらい暗いなあとおもってたら
多分だけど、後ろの方からちょっとずつ灯りを入れていって
重なり具合を確認しているようだ。
プロっぽいなあ。とまた思う。

くじら企画のお芝居は
「一期一会の背水の宴」だと
ホームページに書いてある。

昔、あたしも一緒にお芝居をしていた頃は
照明やら音響は手近にいるものでこなしていた。

音響はいつも島田誠彦だったが、照明は後藤小寿枝が役者ついでにやったり。

あたしがいなくなって、デザイナーになって帰ってきたとき
犬の事ム所は、相変わらずな感じだったが、
いつの頃だろう。大竹野は、今のスタッフたちと出会い。
くじら企画のいつものメンバーになった。

日々、お芝居をやり続けながら、ひとり、またひとり。
たくさんの出会いと別れを繰り返しながら、
本当に信頼できる、役者やスタッフを見つけたんだろうと思う。

人とも、お芝居とも、そして他のあらゆることとも。
失ってしまった出会いは、取り返しがつかない。
書きながら、あたしも反省している。
日々、ちゃんと出会えているか?向き合えているか?
ああ、自信がないなあ。

なにはともあれ、大竹野の「山の声」に出会えるのは本当にこれが最後。
自分の人生にとって何が大切かはひとりひとりの決めることだが、
「一期一会の背水の宴」
もし悩んでいるなら、まず出会ってから考えればいいと思う。

という訳で、
大竹野正典追悼三夜連続公演 くじら企画「山の声」
これが最終回、一年に渡る長い長い弔い合戦、いや背水の宴のはじまりだ。

やろうども!であえ!であえ!

オットーでした


| くじら企画 | 18:43 | comments(0) | trackbacks(0) |
まがさす
年末のぎりぎりまで仕事で、なんだか休んだ気がしない正月だった
年末年始と4日くらいは休んでいるんだけど、正月は行事が多くて
あっという間に、過ぎてしまったので、
それを取り返そうとするように、この週末は
あちこちで、飲んでいた。
くじら企画の追悼公演の作業もほぼ一段落。
やっと年が明けた気分になって、いまごろ年賀状を書いてます。

オットーです

「山の声」の当日パンフの作業がほぼ着地が見えてきた状態で、
え〜、皆さんに謝らねばならんことがあります。
というのは、パンフ用に撮影した写真のことをまえにちょっと書いたんだけど、

実際作っていく過程において、

ボツにしちゃいました…

っていうのは、役者の写真と合成して、大竹野を一緒に北鎌尾根にのぼらせたい。
っていう、魔が差したとしか思えん、思いつきでもって、写真を撮ってもらったんだけど
大竹野の写真が、解像度とかピントの面でいいのがなくって、
いや、やるだけはやってみたんですよ。でも、悪い冗談としかおもえない仕上がりが見えたので、やめちゃいました。

という訳で、練習を10分ほど早く切り上げて、撮影に協力してくれた
海老さん村尾さんマリンちゃんごめんなさい。

やはり、「山の声」ってかなり業の深い作品だから、
あんまり冗談みたいなのは似合わないのね。
頭で考えてる時は、冗談のつもりじゃなかったんだけど……

でも、もちろん、マリンちゃんがいい写真をたくさんとってくれてたんで、
いい感じになってると思います。
冗談の片鱗もちょっと残しました。

という訳で、いよいよ山の声までもう10日を切っちゃいました。

おととい練習を見に行ったんだけど、
いやあ、つくづく業の深いはなしだなあ。

この機会にと、加藤文太郎の「単独行」を読んでみたんだけど
ほんとに、このひと、一生歩いてるみたいな人で、
彼から山をとったら、きっと何にも残らないんだろうなと思った。

「山の声」は、そんな業の中にどんどんのめりこんで
ある限界点をこえてしまった男の物語だ。


そういえば、大竹野の芝居にはいつも、そんな限界点が描かれている気がする。
犯罪者をとりあげるとき、その人を特別な狂気とか人間じゃないもののようには描かない。
大竹野の芝居に出てくる人物にはいつも、生々しい生活感があふれている。
それは、たぶん、あたしやあなたと同じ人だ。

そして、あたしやあなたと同じように、ままならない人生を生き、
社会の中で、やりきれないルサンチマンを溜め込んで、なおかつ、それに耐え続けている。
そこに、ある瞬間が訪れる。

まがさす。

まさにその瞬間が描かれてゆく。
他人事じゃない。あたしだって、いつどんな魔が差して、
「密会」の主人公にならないとも限らない。


だが、「山の声」はちょっと違って見える。
それは、加藤文太郎は自分の命のエネルギーを全部、山に投げ込んだ人だからだ。
あたしにも、そんな生き方ができるのだろうか?
カワマタやナガヤマたちに訪れる魔の瞬間は、加藤にも同じように訪れる
だけど、どこかが違う。

カワマタやナガヤマには、いつかあたしもそうなってしまうんじゃないかという
恐怖がつきまとう。だけど、「山の声」の加藤には、どこかそうなりたいような
シンパシーを感じてしまう。

生きることは、そのままで、つらく苦しく哀しいことだ。
そう決めて、それでもなぜ生きようとするのか?
今、天国の加藤文太郎なら答えてくれるんじゃないだろうか?

オットーでした



| くじら企画 | 14:23 | comments(0) | trackbacks(0) |
さよなふ
 本当はカタカナで書かなくてはいけない。

サヨナフ

大竹野正典追悼三夜連続公演 第三夜「山の声」と
同時開催の上映会。
前回、「屋上のペーパームーン」を書いたので
こちらも、書かねばなるまい。

オットーです

辺見庸というジャーナリストがあって、その方の短いエッセイがある。
永山則夫の死刑が執行されたある夏の日のことを綴った文章だ。
サヨナフの公演よりのちに、たまたまその文章に出会って、
痛く胸を突き動かされたことがある。

「サヨナフ」の主人公はそのナガヤマだ。
少年期の生命力あふれるナガヤマを川田洋子が
そして、大人になったナガヤマを風太郎が演じる

少年役は川田洋子のオハコ、とかいったら、本人はいやがるかもしれない。
「海のホタル」では、女版「密会」ともいうべき、強烈な演技を見せてくれた
名女優だもの。
さらに風太郎はまだ細い(笑)。普段の姿からは想像もつかない強烈さ。
ふたりの最強役者のコラボなのだ。

少年期のナガヤマは美しい。
聞くだけでもあまりに悲惨な境遇のなかで
獣のように生き抜こうとする、その輝きと対置されるのは、
獄中で、イデオロギーを身につけ理論武装に身を固め、
なにやら現実離れした醜悪なナガヤマの姿だ。

その対置が、あまりにもやるせなく、しょうがない。

加害者と被害者の関係の描き方は、これが、後の「密会」の描き方の
原点になったんじゃないかと、あたしはかってに思っている。
上映されるのは初演か再演か今、あたしは知らないが、
初演の時の石川真士のセリフが印象に残っている。
被害者側からの強烈な切っ先を隠し持ったセリフだった。

こう書いてくると、また、社会派とかいわれそうだが、
大竹野のビジュアルセンスが、よくでている
美しいお芝居になっているとおもう。

ちょっとうろおぼえだが、藤井美保演ずる、ナガヤマの姉のシーンで
語りによって描かれる、流氷のビジュアルは、あまりに哀しく美しい。

いま、気がついたが、そういった、語りによってビジュアルが描かれるとき
林 鈴美の照明の力が、ものすごく効いていたんじゃないだろうか?
上映会で確かめてみたい。

そして、もちろん、ラストシーン

いやいや、こいつは見てのおたのしみにしましょう。
この作品が、追悼講演のリストに上がらなかったのはとても残念だが
ビデオでお楽しみいただきたい。

というわけで、あと二週間に迫った、第三夜「山の声」
あたしも、情宣のラストスパートにはいるのだった。

オットーでした


| くじら企画 | 11:39 | comments(0) | trackbacks(0) |
おくじょう
いよいよ押し詰まってきましたね。
あたしの仕事ももう、ひと踏ん張りふた踏ん張り。
なんとか年がこせそうだけど、
ということは、「山の声」まで、あと一ヵ月ってことで
そっちはまだまだ大変だ。

オットーです

連続更新の今日は、趣向を変えて、
同時開催の上映会について触れてみたい。
とおもうのは、ツィッターでもそんな話題が出てるから。

で、「屋上のペーパームーン」
あたしなんかは、当時、何がうれしかったかって、
公演終了後の打ち上げ。
あたしの人生でも二度と出会えない最高の
「ビアガーデン」でした。

というのが、この芝居、実際の屋上を舞台にして上演されたんである。
今思うに残念ながら、あたしはお手伝いできなかったが、
猛暑の中、屋上に客席を組み立てた、えらい苦労を
みんなで分かち合ったから、たのしかったんだろうなあ。

ま、この辺は、くじら企画のホームページにもくわしく
乗ってるから見てあげてください。

この芝居は、大竹野作品のなかでも、ピカイチのエンターテイメントだとおもう。
犯罪を取り上げたっちゃあ取り上げてるが、人が死んでません。
このまえ、「山の声」をおとこまえと書いたけど
「屋上のペーペームーン」もけっこうイケメンだ。

大竹野本人が、「今度はピカレスクロマンやで」と
いってたのもうなずける、憎い野郎どものお芝居なのだ。

大竹野版7人の侍、ならぬ7人のおっさん。
真ん中には、あたしの大好きな秋月雁さんが「密会」とはまた違った
いい感じのいやらしいおっさんになってます。
取り巻くのは、今ノリノリの戎屋海老、今お肉がノリノリの武川康治、風太郎、
&追悼公演でも大活躍のおなじみ役者衆が、濃い〜い男芝居を見せてくれます。

実際に屋上で上演できたことが、フロックにちかいラッキーさで、
今現在、あんな風に屋上を使わせてもらえる場所があるとはなかなか思えない、
当時でも、屋上公演案にのりのりだった大竹野と戎屋海老さんが
懸命に見つけ出してきたそうだ。

いやあ、舞台の奥に本物の通天閣があるなんて
信じられないできすぎたロケーションだ。

真夏の当然エアコンなどない屋上は、めちゃくちゃ熱くて
お客さんにカチワリを配ったりした、もう、しゃべるネタ
あり過ぎのドラマチックな公演だった。

今回の追悼公演に際しても、人気は一番だったが、屋上がないので断念。
あのメンバーでもういちどあれが見れたらあたしは死んでもいいくらいなんであるが
それが、大画面で上映のはこびである。

これは、ロッキーホラーショーでも見るみたいに
クラッカーかなんか持って見たいとか思ってしまう。

あたしも家でDVDをいちばん見るのはこれだなあ、
って他のDVDは持ってないし。

この台本を誰かがやるときは、ぜひ、屋上公演をご検討いただきたい。

へへへ、どうだ、これは見るしかないっしょ!

オットーでした


| くじら企画 | 18:38 | comments(0) | trackbacks(0) |
ぷろね
ちかごろ、パイプを吹かし始めました。
タバコ代の節約が目的なんだけど、
いろいろ計算してみたら、
完全にパイプに切替えたら、かなり
安くつく計算ですが、愛着あるセブンスターも
平行して吸ってると、うう〜ん。
たいして節約になってません

オットーです

月曜日に、くじら企画の練習にお邪魔しました。
っていうか、当日パンフレット用の写真を撮るというので
行くって約束してたんだけど、仕事が押して、
駆けつけぎりぎり間に合いました。

今回は「山の声」なので、山で撮った大竹野の写真を
パンフレットに使うことを思いつき、
それなら、加藤文太郎と吉田富久と一緒に山登りってコトにしようと、
練習場所にむかって早足であるきつつ考えた。

お芝居は、もうほとんど出来上がっている。
前回の公演がスタートラインっていう村尾さんの言葉どおり、
お芝居の骨がどんどんしっかりしてきている感じ。
存在感がドンッと強くなっている。

練習が終わって写真撮りますってときに
マリンちゃんが「どんなの撮りたいですか?」って聞いてくれたので、
「加藤文太郎と吉田富久が、北鎌尾根をやっつけてポーズしてるところ」
と注文した。

おちついて考えてみると、
ずいぶんえらそうな注文だったなとおもう。
だって、くじら企画の名優ふたりに向かって、
芝居では出てこないシーンの演技を求めた訳だ!

あちゃあ、われながら、なんて傲慢な!

でも、戎屋海老さんも村尾オサムさんも
怒るでも無く、さらっと応じてくれた
すみませんでした。ありがとうございます。

で、
やっぱりすごい!ふたりは見事な役者だ!
いや、あたしが驚いたって、彼らにしてみれば
あたりまえのコトなのかもしれないけど

その笑顔!加藤文太郎の笑顔でした。

吉田も、ああ、かのキャラクターの加藤文太郎に対する想いや
彼の性格からしたら、ああ、そんな顔するだろうなっていう…

あたしはもう何も言うことが無い、
「あ、下からあおったアングルで撮ってほしいな」と
思ったら、マリンちゃん。もう寝転んでねらってるし!

いいなあ。こうでなくっちゃ!
プロフェッショナルの仕事って、これだよ!これなんだよ!

という訳で、撮影は、あっという間に終了。

あらためて言うまでも無いことかもしれないけど
くじら企画のみんなって、いい集団だなあ。
何をやっても、みんな当たり前みたいな顔ですごいことやってくれる。

ずっと、役者のことばかり書いてたけど、
実は、スタッフがまた、いいんだよね。
あの舞台の迫力は、あの歯切れのいい力強い音響と
照明というより照暗!?ていうか、美しい光と闇を描き出す照明の
力なくしてあり得ない!

力のある人たちが、あたりまえみたいな顔して
すごいことやる舞台、「山の声」乞うご期待!

おお、うまいこと宣伝になってる!みたいな
だって、あたしだって、宣伝のプロですから。

オットーでした


| くじら企画 | 21:57 | comments(0) | trackbacks(0) |
ちらし
 ふと、気がつくともう師走。
11月は仕事に暮れ、
なのに、我が暮らし楽にならざる じっと手を見る
「よごれとるアルなぁ〜」
ってこれは、サイボーグ009にでてくる張張糊のセルフなんだけど
子供のころの記憶って強くて、
じっと手を見る というと、このセリフが続いて出てくる。
マンガの影響おそろしや〜

オットーです

この間から、仕事にかまけて
見たいお芝居も見れず、くじら企画の練習も覗きにゆけず。
この前も、練習見に行くぞって、張り切ってたのに
結局、コトブキ出勤。つまり、練習後の飲み会だけ参加でした。

半月もブログをほったらかしてる間に、
くじら企画「山の声」の予約が始まってます。
「密会」から少し時間が空いてると思ってたのに、もう2ヵ月無いのね。

今回の追悼講演のパンフレットが無くなったらしく
先日、「山の声」のためのチラシを作った。
あたしは、まだ見てないんだけど、もう、出来上がってるはずだ。

今回は、2年前のチラシをリメイクする、ということで、
そのときのデータを元に、追悼公演版を作った。
それは、くじら企画初めての表面カラーチラシだった。

それまでは、ずっと、モノクロちらしだったのね。
貧乏だからしょうがないっていうか、
あたし的には、モノクロで、カラーに負けないチラシを作ろうってんで
結構燃えて作ってたのね。
でも、世の中のベンリがかってに進歩して
貧乏でもカラーのチラシが作れるようになった。
ううん、喜んでいいんだかどうだか。

で、いっぺんカラーでやろうかと言うことになったんだけど
いきなり、くじら企画の雰囲気を壊したくなかったんで
カラーでモノクロの写真を印刷するという。おやおやな選択をした。
ところが、そうなると、色のコントロールが、けっこう難しいんですよこれが。
で、大竹野は、あたしンところのプリンターで出したのを見て気に入ってたんだけど、
あたしは、プリンターの色が転んでるのわかってたから
実際は、違った色をイメージしてたのね。

出来上がったチラシは、あたしのイメージには合ってたんだけど
大竹野の思ってた色と違ってたらしい。

という訳で、今回は、大竹野が気に入っていたであろうはずの色を目指してみた。
って言っても、プリンターで転んだ色にデータを近づけるのって
また、めっちゃ難しかったから、うまくいったのかどうなのか、
ここで、校正とか見れない貧乏が影響して、上がりを見るまではドキドキなのでした。

「山の声」の練習の様子はマリンちゃんが書いてくれてるけど
村尾さんとコトブキで話したとき
「前のがスタートラインですから」って
う〜ん頼もしいお言葉、いただきましたっ!!

あの、超絶長ゼリフ!聞くところによると、もう入ってるらしい。

あたし、のんのんさんの時、そんな長ゼリフなかったし、ほとんど会話形式だから、
憶えやすいセリフのはずなんだけど結構時間かかったなあ。
って、くらべる相手がちがうんだよな。

なんか、散漫な文章になっちまった。
ちょっと仕事が落ち着いてきたので、ほっとして気が緩んだようだ。
今日は早めに帰ってゆっくりしようと思ったら、もう10時半だし(泣)

まだこれから、「山の声」のために作らなきゃいけないものもあるし
気をチラシてる場合ではない。
集中集中。

オットーでした




| くじら企画 | 21:47 | comments(0) | trackbacks(0) |
にんげんは
 めっきり寒くなってきました。
この、日に日に寒さの増す季節はにがてだ。
あたしは秋生まれのくせに、気温が低いと
冬眠したくなって、毎年今頃から春が待遠しい。

オットーです

もうそろそろ、「密会」について
書く事書いてけりをつけなければと思う。
第三夜の「山の声」の練習がもうはじまっているから。

あれこれ、ブログの感想を読ませてもらっていて、
いくつかのブログには、とても嬉しい想いをさせてもらった。

大竹野が伝えようとしたことを、しっかり受け取ってもらえたと
いう手応えを感じている。
もっとも本人はいないから、あたしがそう感じるだけだけど。

「社会派はあかん。人間派でないと」

これは、あたしが聞いた大竹野の言葉。
もう、これ以上書く必要はないかもしれない。
大竹野正典追悼三夜連続公演 第二夜「密会」は
その、真骨頂であったとおもうからだ。

第一夜「サラサーテの盤」が
ひとりひとり、悲しく美しい人間たちを走馬灯のように
ウチダのもとに寄り添わせて、キラキラ光る糸で紡いだ
絹のような手触りの作品だとしたら

「密会」は、せつなく素朴で、だからこそ狂おしい程の日常を
どすん、と、投げ出してみせるような作品だと思う

「ここはペルシャか?」

この、必死に生きようとする、人間の悲しさが凝縮した問いかけは
あたしもこれから生きていく上で、幾度と無く発しなければならない、
答えのない問いだ

生きることを描こうとするからこそ
大竹野の作品にはつねに死がつきまとっているし
必ず、ものを食べるシーンがあるのだと思う。

最後の叫びのあと、大音響のペルシャの市場が響き渡る、
暗闇の中で聞く、あの声は誕生の声ではないだろうか?
誰の言葉だったか「人間は泣きながら生まれてくる」というのがあった。

「密会」を目撃したあたしは、いま新たに、哀しみの中に産み落とされ、
哀しいからこそ生きていかなければならないことを知らされるのだ。

さて、

また、何か思ったら書くと思うけど
そろそろ、「山の声」に向かわねばならない。

約2年。
もうお芝居はやめるんじゃないかと思われるような勢いで
山行に没頭していた大竹野が、再び、筆を取った作品が
登山家の物語。

加藤文太郎に大竹野が自分自身を投影した作品だと思う。

乞うご期待!

オットーでした

| くじら企画 | 19:53 | comments(0) | trackbacks(0) |
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