オットー高岡の我流天晴

フリーデザイナーオットー高岡のページ。我流もいつかあっぱれに。
わたしは誠実だろうか
そう問い続けること
希望をもって
ドキュメンタリーが好きなのか?!
 っていうのは、あるテクノバンドのリーダーがコンサートで
観客に向かって言ったセリフ……だと、
むかし、同じ会社にいたやつから聞いた。
なんで、とうとつにこんなこと書くかというと
最近、なぜか、ドキュメンタリー映画ばっかし観てるから
ふと、思い出したんです

オットーです

はじめに観たのは、あたしの大好きなジョンレノンの
ニューヨークでの日々を描いた「ジョンレノン・ニューヨーク」
次は、うちの大正まろんのおすすめで「ヒロシマ・ナガサキダウンロード」
先週の日曜日は「ジョージハリソン リビングインザマテリアルワールド」
そして、昨日は、うちのかみさんが突然おもしろいかもってメールしてきたので
行っとこかということで観た「アンダーコントロール」

2本は社会派系であと2本はビートルズ。

ほんとは、ドラマの方が好きなんだけどね。
最近のハリウッド映画とかあまり観る気がしなくって。

「ヒロシマ・ナガサキダウンロード」はかなり強烈でした。
日本で被爆した人が、アメリカで生きている。
その姿をメキシコ(だったかな?)にすんでいる日本人青年が
訪ねてゆくロードムービー。
もう、何十年もたっているから、戦争体験者はどんどん少なくなっていく
彼らの記憶を、若い世代のメモリーにダウンロードするというコンセプトは
とても共感できた。

「アンダーコントロール」は、脱原発を決めたドイツの
原子力発電所のドキュメンタリー。
まえに「いのちの食べ方」という映画も観たんだけど、
たんたんと事実を追っていくスタイルで
「反対」とか「賛成」とか、お気楽に吹き上がるんでなく
事実と映像の力がすごい。
解体されていく原発の絵がめっちゃ美しい。

いちばん、いまいちだったのは、ジョンレノンので、
まあジョンのドキュメンタリーは他にもいい映画がいくつもあるからいいか。
今まで観たこと無いネタが少なかったんだよね。

で、ジョージ。3時間30分の大作!
音楽ドキュメンタリーでは、定評のあるマーチン・スコセッシ監督。
生まれてからビートルズ時代と
それ以後を2部に分けて、もう、じっくりがっつり。
ジョージ・ハリソンという人の生き方や人間性が、本人の音楽とともに描かれていく。

あたしは、いままで、あまりジョージのことは深く知らなかったんだけど
最近年とともに、ジョージの良さがちょっとずつ分かってきたところだったんで
あらためて、ジョージ・ハリソンに出会えて、うれしかった。
これから、ぼちぼち、聞いていこうと思ったのでした。

いやあ、しかし、ジョンやジョージのドキュメンタリーはね。
彼らのことが好きだから、観に行くんだけれども。
そして、やっぱり、いいなあって思って、3時間とかあっという間なんだけど。
で、わかっちゃいるんだけど、最後には、死んじゃうんだよね。
悲しくて悔しい気持ちを再現されてしまうのでした。

ジョージの友人だったエリッククラプトンやエリックアイドルなんかが
つい涙ぐんだりしているのを観ると、ジョージって愛されてたんだなあって
エンドロールの闇のなかで、ジョージの優しくも切ないメロディーを聴きながら
泣けてしまうのでした。

オットーでした

| お芝居映画読書など | 18:46 | comments(0) | trackbacks(0) |
ありがとうございました
 銀の鈴 三重公演が終了しました。
お世話になった皆様、本当にありがとうございました。

約3ヶ月にわたって、練習してきたお芝居も終わり。

ちょっとづつ、ああでもない、こうでもないと作ってきたものが
いざ、本番になるとあっという間に終わってしまい、
バラしのあとは、もとの何にもない空間が残るのみです。

よかったこと、よくなかったこと、楽しかったこと苦しかったこと。

過ぎ去った後には、何とも言えない、気分だけが残っています。

で、結局、ああ、楽しかったって言ってしまうんです。

見に来てくださった皆様に、あらためて御礼もうしあげます

ありがとうございました。

さあ、生きてゆかなければ。


といいつつ、昨日は、大阪公演でお世話になった細野ビルジング
の「66展」のオープニングがありました

齋藤監督が、コガさんコズエさんと、なんかやるというので
かみさんと見に行きました。

66展はアートや音楽など何でもござれのイベントで、
細野ビルは、上までギャラリーになっています

どうやら、齋藤さんたちは紙芝居の朗読で「隅田川」という
歌舞伎をアレンジしたものをやるということがわかりました。

ところが、コガさんと話しているうちに、
うちのかみさんがスカウトされて台詞を一つ読むことになり、
えらいこっちゃとおもっていたら
あたしも、あとふたり見に来ていた銀の鈴メンバーも
ひとことづつ参加することに…

これは、飲まずにはいられまいということで、
そこにあったワインやらビールやら飲んで
気楽な感じで参加しました。

コガさんがお知り合いの本物の義太夫のかたに
前口上をお願いしたんですが、これが。

めちゃめちゃかっこいい。

とざいとお〜ざ〜い!の声がりんとして響き渡ると
ええ感じにできあがってるコガさんの名調子。

あたしは、客席にすわっていて突然ひとこと参加。

三人のバランスがとてもよかったのでとてもいい感じでした

なんか、まぜてもらって楽しかった。

ベースになる3人がしっかりしているから
その場ののりで、適度にアレンジをくわえて形にしてしまうあたり
さすがとしか言いようがありません。

ライブの乗りをよくわかってるんだろうなあ。

あたしもあんな感じにひょうひょうとやれたらいいなあ。




今週金曜日は、「山の声」
仕事でエマージェンシーでもない限り、見に行くつもりです。

明日かあさって、練習もおじゃましようっと。


オットーでした


| お芝居映画読書など | 21:52 | comments(2) | trackbacks(0) |
いとおし
 追悼講演が終わっての脱力から、
雁さん村尾さんの授賞式をへて
「銀の鈴」の練習が始まり、
いよいよ春って思ってたらこの大事件
それでなくても、今年はなんか
自分が「黒」いので、なかなかブログ書けずにいました

オットーです

とても、いいお芝居を観て
ひとこと感想だけでもかいとこうという気になりました。

トランスパンダ「物語と愛情」

まさに、タイトル通りのおしばい。
出てくる人みんな傷だらけ、
心の痛い痛いお話なんだけど
伝わってくるものは違う。

心の痛い痛いの根っこには
愛おしい愛おしい気持ちが入っていた。

痛いと愛おしいはきっと同じものなんだ。

泣けて泣けて恥ずかしいくらいだった。
大竹野の芝居くらい泣けた。

あたしの勝手な考えだけど
お芝居はやっぱり「空気」で語るものだ。
痛いくらい愛おしい気持ちが空気から伝わってくる。
自分の「黒」が少し薄めてもらえたような気がする。

オットーでした。

| お芝居映画読書など | 14:05 | comments(0) | trackbacks(0) |
ほんもの
あたしは冬はきらいだ。
じっと、春が来るのを待っている
長い黙祷のような季節は
いっそ冬眠してやりすごしたいなあ

オットーです

なんだかこのごろ浮かれなくて、
なにかをじっと待っているような気分がぬけない。
ええい、これ何待ちっ!!って感じ

だめだねえ。自分から動かないと何にも動かないのは
わかってるつもりなんだけど、


先日、やっと、福ちゃんから借りていたDVDを見た。
三好十郎の「胎内」。

すんごく、面白かった。

力強い人間肯定。
ずしんと応えた。

あたしは、小劇場のお芝居はまあよく観てる方だと思う。
去年は40くらい観た。

某HIROSEなにがし氏(笑)には、ちょっと及ばないけど

でも、くじら企画が無くなったから、
骨にこたえるようなお芝居は、もう無いとおもっていた。

いや、遊劇体とかあるんだけどさ、

でも、やっぱ、大竹野がいちばん泣けたんだよね。

しかし、

あたしが演劇の何を観てきたかって、
ほんの、自分の周りの手当り次第を観て来ただけで

世の中に、どんなすごいのがあるかとか、ぜんぜんわかっていなかった。

去年、桃園会の三好十郎の「浮標(ぶい)」を観たとき、
うまく理解できないんだけど、ざわざわするようなわくわくするような
いたたまれない感覚におそわれて、とにかくすげーって思ったんだけど、

そのおかげで、三好十郎という劇作家がいたことを知り、
おかげで、「胎内」にも巡り会えた訳だ。

そのDVDは、テレビ放送をエアチェックしたものだったんだけど
調べてみると、長塚圭史という人が主演していて、おもいっきりの熱演だった。

あたしなんかより、グッと若い人なんだけど、
これからも、三好十郎とかをやっていくらしい。
今年は「浮標」をやってるとか。
いいなあ、大阪にこないかなあ。

こういうことって、すごいと思う。

いや、なにがって、「三好十郎」はもうずいぶん前の人で
「炎の人」がけっこうメジャーな作品なんだけど

現代に普通に生活してたら、まず、出会わないよね。
時間の流れの向こうに押し流されて、消えていったって
おかしくないんだけど、そうはならない。

それは、きっと本物だからだ。

たとえ、ほとんどの人が見向きもせず、関心もなく
世の中が変わってどんどん時代に合わなくなっても
本物は、必ず誰かが受け取って、伝えていくんだ。

いくら、今、この世の春のようにもてはやされていても、
50年、100年残るものが、いったいいくつあるんだろう?

答えは、50年くらいしたらわかると思う。

たぶん、もう、あたしはいないけどさ。
人間の骨に触り、その随を鷲掴むような作品は
必ず、誰かに発見されるのだ。

長塚圭史が、三好十郎をやってくれてるように。
遊劇体が、泉鏡花をやってくれてるように。

くじら企画はおわったけれど、
大竹野がくじら企画でみんなと一緒に作った作品は
誰かに、受け取ってもらえるに違いない。
大竹野、よかったね。

オットーでした。





| お芝居映画読書など | 18:11 | comments(0) | trackbacks(0) |
さすらう
先週の土曜日は古くからの友人と 十数年ぶりにさし飲み。
その後くじら企画の練習上がりに合流して痛飲。

近頃、飲めば飲む程、気分が浮世離れしてしまい 
人として、大人としてどうよ、と
自分で突っ込みを 入れないといけない状態になってきた。

オットーです 

おちつけ、あたし、といいつつ 日曜日。 
また、すごいの見ちゃったのね

しってる人は知っている 野外劇団 楽市楽座。 
まえにも、ちょっと触れたことがあるんだけど 
大阪で野外劇と言えば思い出す劇団のひとつで
ラフレシアというテントでお芝居をしてたのが 
今年の4月から一家3人で全国を公演の旅に出るという 
思い切った活動をしてはります。 

その楽市楽座が堂々の凱旋公演。 

まあ、たくましくなっちゃって! 
ラフレシアはもう無く。青天井にパイプいすの客席。 
壁も天井もない舞台で、堂々のパフォーマンス。 
観客の集中力をもり立てていく、舞台運びが堂に入って力強く、 
多分、公演を重ねるたびにシェイプアップされてくる芸。 
照明はつけっぱなし、音響はすべて生演奏。 
ギターもめっちゃ上手になってるばかりか 
三味線まで披露しちゃう芸達者ぶり 

かっこいいわ! 

このあと、10月の高知から11月の沖縄まで 旅が続くそうだ。

力一杯、生きてるって感じの自信が 
全身から漂って、あたしゃあ、もう眩しくて… 

50にして天命を知るなんていうが 
あたしの天命って何だろうって、 またまた、
気分がさすらいはじめる

一日一日、自分のなすべきことを 
しっかりやって行く以外に、このさすらう気分から、 
のがれるすべはないのだ。
わかっちゃあいるんだ、わかっちゃあ。 
お、おちつけ、あたし。 千里の道も一歩から。 

オットーでした
| お芝居映画読書など | 22:07 | comments(0) | trackbacks(0) |
遊劇体 多神教
うっとおしいあめですねえ。
もお梅雨なんでしょうか?
あたしは、雨にはすこぶる弱いので
このところ、機嫌の悪いことおびただしい。
そのうえ、なんだか仕事がつまってるもんで
こころに余裕が無い。先週は飲みにいく予定を
仕事でパスしてしまって…ってああいかん!
それでなくてもうっとうしいこの季節
あたしは何をうじうじと…

オットーです

てなわけで、気分をかえて
土曜日に遊劇体を見に行ってきました

ひごろせっせとお芝居を見に行くあたしですが
懐の具合も有り、京都である公演には基本いかないことにしてます。
チラシとか見てると、面白そうなのがいっぱいあってくやしいんですが
とか言っても、遊劇体はべつ。
なんだか追っかけみたいですな(笑)

今回も泉鏡花の作品で、なんと今度初めて舞台化されるのだそうです。
会場も京都五条にある歌舞練場。なんでも大正時代にできた小屋だそうで
でっかい畳敷きの大広間に舞台が有ります。

古式ゆかしい劇場で、泉鏡花の台本、セリフは一字一句かえないという
そのまま聞くと、古い歌舞伎でも見るようで、見ても意味分かんないんじゃないか
と思っちゃいますが、そんなことまったく有りませんでした。

かなり、ドタバタの喜劇で、わかりやすい筋立て。
凄まじい女の情念を中心にすえながら、けっしてドロドロせず
あまりにもアッケラカンとした、どんでん返しに思わず笑っちゃいました。

客入れのときから、なんかお祭りのお囃子がなっていて
まるで、寄席に来たような気分、そこに時たま入る
何かを打つような、ターンという音…
もうお芝居が始まっている。

全体にはビシッと形を決めたお芝居で、
緊張感の高い遊劇体らしい運びなのに
結局、きっちり笑わせられてしまう。おみごとでした。

雨のうっとおしさも忘れ、すっかりいい気分になりました。

京都五条橋の河原と言えば、一休さんの尊敬する大塔さんが
悟りを開いてから、20年間乞食をして暮らしたという
まさに、役者(かわらこじき)にはうってつけの場所かもしれません

村尾さん、ぷぷっ、エロ神主、ぷぷっ。

オットーでした。


| お芝居映画読書など | 13:39 | comments(0) | trackbacks(0) |
ペスト
このところ、仕事ばっかりしてるけど、
やっと、「もうだめ、まにあわない」状態から「なんとか、まわった」状態になってきた。
最後のツメをきっちりやらんとイカンここに至って、見に行きたいお芝居がめじろおし。
でも、チラシをならべて眺めていると、自動的に、これは行っとかないとっていうのがわかってきます。
という訳で、今日は夜、お芝居を見に行く予定なのでその分集中して仕事しなくっちゃ。というときに限って事務所の大掃除したりしてしまいました。

オットーです

さて、先日テレビに、辺見庸さんがでていました。
あたしは、かなり信望してる人なのでじっくり見ながら、テレビの前でうんうんとか行ってたんだけど、
辺見さんは、パンデミックという言葉をキーワードに社会の問題をいろいろ話してました。

パンデミックって言うのは、感染爆発という意味ですね。
あたしの聞いた感じとしては、なんか、「うまくやった勝ち組の話」とかそういうのが、今の情報技術であっという間にみんなに広まって、「じゃあ俺もうまくやろう」とか、そういった感性があっという間に蔓延してしまう。って感じかとおもいました。

上の「 」の中に何が入るかで、世相みたいなものが、怒濤の影響を受ける。
たとえば「誰かを陥れても自分がうまくいけばいい」とか「世の中のことなんか関係ない」とか「誰でもいいから人を××」とかいれちゃうと、悲しいことになっちゃうなって思うんです。

実際「金を儲けたやつが勝ち」とか「要領悪いやつは自己責任」とかはもう入っちゃってる気がして・・・。

で、その番組のなかで辺見庸さんが、読み直して驚いたとかいうようなことを言ってたのが、「ペスト」というカミュの小説でした。

「絶望になれてしまうことは、絶望そのものよりもたちが悪い」というような言葉を引用していて、すぐその気になるあたしとしては、さっそく買ってよんでみたのでした。

あたしはちょっと閉所恐怖症の気がありまして、いまでもエレベータとかはちょっといやなんですけど、「ペスト」に襲われた町は、町ごと隔離されて出られなくなってしまいます。
観念的に閉所恐怖症を突き詰めると、地球の中に閉じ込められる恐怖とかまで行っちゃったりするんだけど、その閉鎖された町の中で登場人物たちは、ペストとがっぷりよつに向き合う訳ですね。そのときに、それぞれ、いろんな人間がどんな風に感じてどんな影響を受けていくか、という、人間社会のありかたを描いています。

で、辺見さんのいうには、かつては、病害に襲われた町を題材にしたパニック小説だと思っていたけれども、そうではないことに気がついたってなことを行ってました。

「ペスト」のところの「 」の中に別のものを入れてみると、この小説が病害小説じゃなくて社会小説だってことがわかると言うんですね。

例えば「戦争」とか「ゲシュタポ」とか「新自由主義」とか「金融資本主義」とかいれてみたら、目に見えない巨大な力の中に閉じ込められたときの人間の姿が見えてくるってわけです。

主人公の医師リウーやその友人となったタルー、よその町から来ていて恋人と引き離されてしまったランドールなど幾人もの登場人物が閉じ込められた町の中で「死」と向き合います。
そして、それぞれがそれぞれにその状態をうけいれつつ、それぞれに出来る戦いを続けていくんですね。「ペスト=死」と向き合い、戦い、あるいはただ受け入れ、時に勝ち、時に負ける。

観念的に閉所恐怖症を拡大していけば、あたしたちは、もともと、地球の中に閉じ込められて、確実にやってくる「死」とむきあい、時に勝ち時に負けている訳ですが、最終的には、勝ちはあり得ない。最初っから負けの決まったゲームの中で、だからこそどう生きるのか、という問題を突きつけられたような気がしました。

なんだか、最近きな臭い世の中ですが、「 」の中に戦争とか入ってきた日にはどうするんですかね。

ちょっと引用しちゃいますかね

「ペストが市の門を閉鎖した瞬間から、彼らはもう別離のなかだけで生き、人間的な温かみをもぎ取られてしまっていたのである。さまざまの度合いで、市中あらゆるところで、これらの男たち女たちは、すべての者にとって性質は同じではないが、しかもすべての者にとって同じように不可能な、一つの合体にあこがれていたのであった。」

なんかね、それぞれの人生の中で「あこがれる一つの合体」。せつないなあ。負けの決まってるゲームなのになあ。でも、あたしの感想は、あたしの大好きな永島慎二のまんがのセリフ「悲しいけど雄々しいじゃないですか」でした。

主人公の友人のタルーのことを語る一節があります。

「少数の、おそらくタルーのような人々は、自分でもはっきり定義できない、しかしそれこそ唯一の望ましい善と思われる、あるものとの合体を願っていた。そして、他に名づける言葉がないままに、彼らはそれを時には平和と呼んでいたのである。」

ひとりひとりの力ではどうしようもない巨大な力に襲われたとき、あたしはどうするんでしょうかね。
逃走するか闘争するか、どっちにしても、生きる道は遠そうです。

オットーでした。


| お芝居映画読書など | 17:50 | comments(0) | trackbacks(0) |
くじら企画


30年来の友人の娘が、事務所の開設祝いにくれた鉢植えが、
たった1週間でこんなにすくすくと育ちました。
この、長い付き合いの友人は、くじら企画という劇団で
作・演出をしている変わり者です。
まあ、50歳を前にしてこれから演劇をやろうとしている
あたしの方が、変態さでは勝ってるかも知れません。

オットーです。

という訳で、くじら企画の公演が、無事、終了しました。
なにをかくそう、オットーは、座付きデザイナーのようなもので、
くじら企画のチラシは、あたしがデザインしております。
ほぼノーギャラでやっているので、それをいいことに
毎回、ただで、公演の全部の回を見せてもらっています。

演劇って本当に「生もの」で、毎回なにがおこるか
わかりませんし、お客さんの空気によっては、
役者がノってものすごく良くなるときもあるものですから、
大好きなくじら企画の公演は見逃したくないんですね。

今回は、「山の声ーある登山者の追想」というタイトルで
大正から昭和にかけて、一般の労働者の登山家のパイオニアとして
知られている加藤文太郎という実在の人物に想を得た作品でした。

いやあ、「人間派」をもって自認する作家の面目躍如といった所でしょうか。
山に憑かれ、山で死んだ男二人の生を、狭い舞台に濃厚に見せてくれました。

さすがに、長いことお芝居をやっているだけ有って
うまいと思わせる構成や台詞を堪能させてくれましたが、
なんと言っても、二人の役者と照明・音響の、これも手練の渾身の表現力!
まさに、総合芸術としての演劇でした。

この物語の「山」をあなたの「○○」に置き換えてみたとき、
登山はわからなくても、人間の(いや男のかな?)業のふかさ
というか、抜き差しならない生が見えてきます。

なんと愚かで、なんと豊かで、なんといとおしい。

そんな、人間の生と死のドラマでした。


うちのかみさんは「男は勝手や!」といって怒ってましたけど。
あたしは、なんとも反論のしようもありません。

くじら企画のお芝居が無事終了したので
次は、流星倶楽部の番だ!とか言って
もりあがっちゃってるオットーでした。
| お芝居映画読書など | 18:56 | comments(0) | trackbacks(0) |
CALENDAR
S M T W T F S
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
252627282930 
<< November 2018 >>
SELECTED ENTRIES
CATEGORIES
ARCHIVES
RECENT COMMENT
モバイル
qrcode
LINKS
PROFILE